曖昧なコミュ力
「コミュ力」という言葉自体もあまり好きではないが、「コミュ力のある人材を求める」という文章は特に好きではない。そのような曖昧な言葉で人間を縛るお前こそコミュ力がない、自分のコミュ力のなさを棚に上げて他人に要求するなと思う。
私は、コミュ力とは「自律性」のことだと考える。あるシーンにおいて何か要求されたことに対して自分で咀嚼し、理解の不足があれば尋ねる。このとき、要求の背景情報を察知あるいは認識合わせを行い、要求に応えていく。これがコミュ力である。
コミュ力が高いというのはこれらの動作を遂行できることを指し、コミュ力が低いというのはその逆、つまり要求を咀嚼できなかったり、背景情報を汲み取ることに難があることを指す。
一方で、最初にコミュ力を要求する人を「自分のコミュ力のなさを棚に上げて」と表現したが、これはつまり他者に対して指示や背景情報を与える能力に乏しい、あるいは誤った指示や背景情報を信奉している人のことである。私がコミュ力を要求する人材に対して好ましい感情を抱かないのはこういったわけである。
二〇二五年八月二十四日