スナップショット、2026年10月
「の最新のヴァージョン一1」を半分くらいまで読んだ。
この本は僕の最初のエッセイ集だ。二〇二二年から二〇二六年までに書いた文章、十五編を収めた。それらはこの序文とあわせて、「の最新のヴァージョン」というタイトルを与えられている。
――の最新のヴァージョン p5
「僕の最新のヴァージョン」「感情の最新のヴァージョン」「世界の最新のヴァージョン」。普遍的だが正解を出すのは難しいことばや概念について最新のヴァージョンを書く。これは自分にも取り入れた方が良さそうだ。
ただし、最新のヴァージョンだけを残しておくのではなく、v1、v2のようにその時点のスナップショットを取っておく。昨日必然であると考えていたことは今日には必然ではなくなっている。じゃあ昨日必然と考えていたことは全くの無価値になってしまっているのか?そうではない。だから残しておく。
たとえば「死」についての最新のヴァージョンを書いてみる。今の自分は死に対して何の意見もない。目まぐるしく変わる環境を生きるのに忙しいからだ。浪人生の頃の自分は死に対する恐怖心が最大になり気を病んでしまった。より正確には無限に対する恐怖である。全く変わり映えのしない一年、何も確約されていない未来、そこに無限を見出してしまい、結果的にタナトフォビアに陥ってしまった。今は未来こそ全くわからないけれども、変化は常に感じているから、死に関心を寄せる暇はない。
一方で、残りの寿命について考えることは少し増えた。先日高校の友人と居酒屋で会話している時に、結婚や子育ての話題になった。一人が「定年が60歳と仮定する。子供を大学に通わせることを考えると、浪人や留年、大学院の進学などを考えると大体24歳まで子育てをする必要がある。そこから逆算すると、子供を作るタイムリミットは36歳だ。」と言った。そこで初めてはっきりと、人生の残り時間を逆算して考えないとあっという間に死んでしまうなということに気がついた。
高校を卒業して、大学に落ちたからもう一年受験勉強をした。大学に入学したら新型コロナウイルスが流行しやがったせいで大学に行けなくなり画面と自分だけの生活になった。研究室に配属されて、就職活動をして社会人になったが、労働は研究室でやっていることのほぼ延長線上にある。高校を卒業してからの全てのフェーズがぬるりとした変化なので、年齢を重ねている感覚が全く持てない。一応来月で27歳になるのだが、本当にまだ21歳なのではないだろうかって思う。
ただ、ここ十年弱で全く変わっていないというわけではない。このサイトを作るにあたって、せっかくだからと過去に書いた日記を引っ張ってきて読み返していたのだが、文体や思想が結構変わっているという発見があった。特に二十代の前半は金がなくて時間が余っていて外には出られなくて、という鬱憤と、そんな中でも何か面白いことはないかと見出そうと下手なりに身を乗り出そうとするような文だった。その時の自分に〇〇の最新のヴァージョンを書かせたらどうなるのだろう。
「永野&くるまのひっかかりニーチェ」で永野が、東京に来た年齢を0歳として以降の年齢をカウントする「Re:born」という新制度二2を提案していた。さすがに0歳とするのはやり過ぎだけれども、一人立ちした年齢を成人(二十歳)とするとあんまり違和感はない。今月まで実家で暮らしていて、来月から自分が稼いだ金での生活が始まる三3。じゃあ来月は二十歳の誕生日ということにしてしまおう!決定!これがおれの最新のヴァージョンじゃい!
- 一1www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760156818
- 二2www.youtube.com/shorts/cG_jNEYxf9k
- 三3厳密には大学時代は大学の寮で過ごしていたが、四人暮らし・月の家賃四千円は流石にノーカウントとさせていただきたい。
二〇二六年十月二十五日